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このページは 2006年 12月 22日 11時42分35秒 に更新されました。

以外とは?

と言えるのは実は「当事者だけ」って気がする。当事者でない人間には「語るな」という権限はないよ。
当事者以外の人間に言えることは、当事者でない人は当事者を勝手に代弁するのはやめよう(もしくは「やめるべき」)ということかな。当事者でない人は当事者のように語ることはできない。
ただ、当事者でない人が勝手に代弁していてそっちのほうが当事者自身の声よりでかいという場合、あえて「当事者以外は当事者の経験について語るべきではない」と言う事はできると思う。
『失礼します。非当事者(似たようなケースの当事者も含めて)が「当事者以外は語るな」と言うことも、勝手な代弁になるんですね……。自分がしていることの矛盾に、まったく気が付きませんでした。当事者の人間が「私以外は語るな」とはっきり言えることが一番いいと思います。ただそのためには、「私は当事者だ」と当事者自身が胸を張って言えるようにしなきゃいけませんよね。どうすればそういう状況になれるのだろう……と考えがストップしてしまいます。おそらくインターネットでも「私は当事者である」と言える人は本当にごく少数なのではないか、と思っていますから。』 (2006/06/27 13:41)
『うーん… 一般論として,当事者以外が「○○について当事者以外は語るな」ということは,賛同はできないものの,矛盾はきたしていないのではないかと私は思います。というのは,「○○について当事者以外は語るな」という主張は,○○について語っているのではなく,「○○について語るべき主体」についての主張だと考えるからです(こう割り切れるか疑いがないわけではありませんが)。もちろん,「○○について当事者以外は語るな」という主張の根拠として,「○○は〜〜であるから,当事者以外に語る資格はない」という理由付けを持ち出すならば,それは○○について語っていますが。さて,それはそれとして…当事者以外が「○○について当事者以外は語るな」ということに私が賛同できない理由は,生の声というのは多くの場合にとても説得力を持つのですが,同時に,それに対する当事者以外の批判なども開かれているべきだと考えるからです。直接には当事者しか知りえないことではあっても,間接的には当事者以外も知りえるのであれば,それを知った当事者以外も語りえるはずです。また,おそらく,当事者を通じて知ることのなかった当事者以外も,それを推測したり,検討したりすることができるはずです。(ですから,同じ理由で,当事者が「○○について当事者以外は語るな」ということにも賛同できません。)』

[引用サイト] kmizusawaの日記 - 「当事者以外は語るな」


以外とは?

さて次にRPGにおける「戦闘以外のシステム」の在り方について論じようとおもいます。
・・・というか、今のRPGには戦闘以外のシステムがほとんどありません。ほぼ戦闘だけにシステムが集約されています。戦闘しかやることがないんですよ、今のRPGは。なぜ戦闘以外の部分でまったくゲーム性が見られないのか。
例えばダンジョンの攻略ひとつとってもそうです。そもそもダンジョンというのは大抵は敵の本拠地、そうでなくともモンスターの巣窟ですから、そこへ何の準備もなしに踏み込むことは大変危険です。事前に盗賊あたりに下調べさせるか、あるいは人々からできる限りの情報を集め、できればダンジョンのマップを手に入れたいところです。そしていざダンジョンに潜入となれば、そこは危険に満ちた敵の本拠地・巣窟ですから、できる限り慎重に行動しなければいけません。マップをたよりに危険の少ないルートを選び、できれば余計な戦闘は避けるべきでしょう。トラップや仕掛けにも注意が必要です。トラップというのは侵入者を排除するためにあるのですから、それに引っかかれば普通は死にます。細心の注意が必要ですね。ここでも盗賊の活躍に期待しなければなりません。そしてダンジョンを慎重に進んでいざ目的を達したら、あとはすみやかに帰還するだけです。
ところが今のRPGではこのあたりの戦略がまったくゲーム化されていません。今のダンジョンは一体なんなんですかね。適当にダンジョン全体を回って宝箱を回収するだけ。トラップや仕掛けといっても、なんだか小学生でも解けそうな幼稚なパズルじみた仕掛けがあるだけ。バカじゃないの?

[引用サイト] 現代RPG批判(2)戦闘以外のシステム


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